巡り往く星


ガキンチョの時分は腕力で人をねじ伏せるヤツが気に食わなくて、やり返すうち誰よりも喧嘩に強くなった。
10代の頃は家柄だのしきたりだので押さえつけられるのに反発して、家を飛び出して旅に出たりたり、コネをはねつけて下士官から勤めたり。
武官として宮中に上がってからは「慣習」だの「権力」だのと敵対しちゃあ、何もかもひっくり返してトラブルメーカー扱い。

別に権力が欲しかったんでも名声が欲しかったんでもない。
ただ、自分が正しいと信じることを貫ける自由が欲しかっただけだ。
自分を押さえつける何もかもと戦い続けて、気がつけば殷最強の武人『武成王』。
俺より上に位置するものは天子様と太師、宰相の3人だけ。
誰もが俺を立身出世の代名詞、成功者の代表のように言った。

けど

結局

高みに、高みにと上り詰めてわかったことは、人間一人の力など高が知れているということ。
金で命は買えない。
暴力で人の気持ちは変えられない。
権力を振りかざしても時間は止まらない。

自分が正しいと信じることの全てが、通るとは限らない。

それがどれほど正しかろうと、どれほどの努力で築かれたものであろうと。
人々の欲得、思い込み、時勢の流れ、大きな権力とその反動。様々な要素が雑多に交じり合い世界は巡る。それに多少の影響を与えることはできても、自分の思惑通りに操作しようなんて、それはお天道様の動きを操ろうと思うくらい、傲慢で無茶な願いなのだ。

たった――たった一人の大切な人を守ること。
ただそれだけのことですら、ままならなかった。
そんなに多くのことを望んだつもりはない。
大切な家族の笑顔を守りたい。
ただそれだけのことが、こうも為し難い。
自分を成功者だというものに問い返したいくらいだ。
何をもって成功と呼ぶのかと。


==========


「父上、ちょっとよろしいですか?」
野営用のテントで天禄に声をかけられたのは、もう寝ようかという時分だった。
思いつめたようなその顔を見れば、それが真剣な話であることはわかった。
自分のテントに招き入れ、机を挟んで椅子に腰掛け向かいへ座るように促す。
太公望どのたちが崑崙へと戻り、空の上で仙人同士がドンパチやろうというこの時局。豊邑へと退却しながら空の上の戦いの行方が気が気でない時だった事もあって、いきなり何の話か見当もつかず、いぶかしんだ。

卓上の明かりが揺れるたび、テントに落ちた影が踊る。
その影を眺めながら、言い辛そうに口ごもる息子が切り出すのを黙って待った。
そしてようやくたどたどしく話し始めたその内容は、まったく予想だにしないものだった。



「文官になりたい、だと?」
「…はい。」
少し困ったように小さな返事が返ってきた。
「旦様に聞かれたんです。あの、以前、太子と戦った時ですけど」
どう説明したものか、天禄自身が迷っているのがわかる。
「ああ…」
あの時…殷郊殿下と戦った時、俺は本陣で武王の護衛に付き、天録には野営地に残った姫旦殿の護衛につかせた。そういえばあれ以来、時々こいつが旦殿と話しているところを見かけたが、旦殿が心配りをしてくださっているのだと有り難く思って、それ以上気に留めていなかったが。
「その時に、色々とお話する機会があって…。あの方はすごい、素晴らしい方です。」
急に嬉しそうに言葉を畳み掛ける。
「民のことを良く考えていらっしゃる。厳格だけど、とても優しい方です。考えの深さに感銘を受けました。」
「そうだな、姫昌殿の片腕を勤められていた方だ」
静かにそう返すと、ようやく話がずれたことに気付いたらしい。照れたようにいったん上げた目線をまた卓上に落とし、言葉を捜して落ち着きなく目を泳がせる。
「はい、え、それで、その時に、僕に旦様が聞かれたんです。」
目線は手元に落としたまま、しかし言葉に力がこもるのがわかる。
「西岐は朝歌と比べてどうか、と。何か足りぬと感じるものがあるなら言ってほしいと。」
旦殿が、天禄にそんなことを…
軽い驚きを覚える。西岐の統治者の片腕として既に「周公旦」という尊称を受けている程の方が、いくら殷のお膝元出身とはいえ、ようやく1、2年城勤めをした程度の若造に、その様に意見を求めるのか。なんと謙虚で、なんと向上心に満ちていることだろう。
それを聞かれた天禄がどれほど驚いたか、容易に想像がつく。
「それで、オメーはなんと答えた?」
「はい、あの、うまく答えられませんでした…」
弱ったように頭をかく。
「一通りの学問はしているつもりでしたが、武官になるつもりでしたので、それほど政治のことを考えたことがなくて…。漠然と、違うと感じている部分を話してみたのですが、なんだかうまく言えなくて」
きっと今のようにたどたどしかったのだろうと心の中で苦笑いする。
「でも、旦様は最後まで耳を傾けてくださいました。」
急に目を上げてまっすぐ俺の目を見る。
「その後、あらためて考えてみて、やはり違う部分があると思ったのです。それがずっと引っかかっていて、まだはっきりこうとは言えませんが、考えてみたいんです。」
急にしっかりした声を出すと思うと、またわずかに目が泳ぐ。
「そりゃ、僕が殷の宮中で働いたのはほんのわずかな期間です。まだ大した仕事もしていなかった。何を知っているとも言えません。でも、それでも、実際にあの国にいた人間として、気がつくこともきっとなにかあると思うんです。」
こみ上げる希望と経験の浅さゆえの自信のなさが、強気と弱気を行ったり来たりさせる。
まだまだ子供だと内心で思う。

「それで文官か。」
「…はい。」
今度はこちらが答える言葉に迷って黙ってしまった。
それ以上言うこともなくなって、天禄も黙る。気まずい沈黙が続いた。

天録の言わんとすることはわかった。旦殿に感服し、初めて自ら仕えたいと感じたのだ。
その様な人間と出会えるのは幸せなことだろう。
だが…黄家は代々の武家。殷を造反し流れてきたよそ者の一族を、この平和だが閉鎖的な国が鷹揚に受け入れてくれたのは、武家としての実力を買ってこそ。それでも現場の人間に受け入れられるまでは、多少のいざこざを乗り越えなければならなかった。それが分をわきまえず政治にまでくちばしを入れようとなれば、古くより姫家に仕える文官たちが激しく反発することは目に見えていた。黄家のためにも、それは好ましいこととは思えない。

「文官となれば、俺は何もしてやれねえぞ」
「はい」
「楽なことじゃねえ」
「はい」
熱のこもった即答に、天禄がそこまで承知で言っているとわかった。
だが…

「…武官はいやか?」
ビクリ、と天禄の体が震えた。困ったように目を伏せる。
ああ、それこそが、突かれたくないところだったのか。

天禄が、ずっと「武成王の長子」を重荷に感じていたことは知っていた。幼い頃はまだしも、出仕を考える年頃あたりから、曖昧に笑うばかりで俺の目をまっすぐに見返すことがなくなってきたことに気付いていないわけがなかった。自分とて「名門黄家の長子」として重圧を背負ってきたが、「武成王」のブランドはその比でない重さであるらしい。天禄は賈氏に似たのか、自分より生真面目で優しいところがある。俺のように気に食わない全てに喧嘩を売るような真似をしないだけ、中に溜め込むことが多いのだろう。勧められるまま武官として宮中に出仕する事が決まった時も、素直に親の言に従った。それが喜ばしいような、少々心配なような複雑な気分になったものだった。
そんな天禄が、よりにもよって今更こうも途方もないことを言い出すとは。
あまりにも唐突な事態に二の句が告げない。

「父上に迷惑がかかることはわかっています…」
搾り出すように天禄が言葉を発した。
「…黄家の長子が、文官か。」
嫌味を言うつもりはなかった。
ただ、あまりに言う言葉が見つからず本音を漏れたのだ。
「すみま…」
「我侭とわかっているなら」
思わず知らず、声を荒げてしまう。
「中途半端な気持ちで言うんじゃねえぞ!簡単なことじゃねえんだ」
謝るくらいなら言うな、と腹が立つ。
「そんな…そんなつもりではありません!どうしても、文官としてやってみたいのです」
今度こそまっすぐ俺を見返してきた。勢いでつい激しく睨み付けてしまう。
天禄はもっと何か言おうとしたようだが、気迫に押されてバカみたいに口をパクパクさせて、そのまま絶句してしまった。
だが、目は逸らさない。
目を逸らしては負けだと、それだけはわかるのだ。


睨み合って、しばし。
結局先に視線を外したのは、俺の方だった。
そのまま黙って燭台に目を移し、ちらちらと踊る灯を眺めた。
決意は堅いようだ。
「俺は守ってやれねえぞ」
「覚悟の上です」
その即答をいまいましく思いつつ、自分で自分の言葉に驚いた。
「守る」?俺は今「守る」と言ったか?
既に仕官し、いつ所帯を持ってもおかしくない歳の息子を捕まえて、守る、とは。親馬鹿もいいところだろう。

気がついた途端、妙に力が抜けてしまった。
黄家が武家の名門だったのは殷での話。俺は今更もう自分の生き方を変える事はできねえが、お前達はまだ若い。周の黄家はお前達が作っていくのなら。
その道を決めるのは、お前達なのだろう。

「黄家は姫家に恩がある」
譲れないたった一つだけ、念を押す。
「やると言うからには必ず旦殿のお役に立って見せろ。半端なことは絶対に許さねえぞ」
「は…」
「もし姫家に迷惑が及ぶようなことがあったら、俺は息子だろうと容赦なく叩きだすからな」
「はい!」
天禄の顔が明るく輝く。
こんなに生き生きとした瞳を見るのは随分と久しぶりだ。

それが、親としては、寂しくもある。
俺が用意した道はオメーのためにはならなかったんだな。
それが良かれと思っていたことであっても。
オメーが俺ほどに武芸の才を持たないことくらい知っている。
弟の天化に剣の腕で抜かれて、酷く気にしていたことも知っている。
それでもオメーは地道に努力する才があって、細やかに気を配ることができて、俺とは全然タイプは違うが、いつかきっと良い武将になれると信じていたんだ。
面と向かっててめえのガキを褒めるなんて照れくさくってできなかったが、心の中でその強い責任感と粘り強さを誇りに思っていたんだ。
いつか、機会があったら言ってやりたいと思っていた。
オメーは俺の、自慢の息子だと。
共に戦場を駆け、武勲を挙げ、オメーがまっすぐ俺を見返せるようになったら、いつか。

だが、家族を守りたい、その想いすら俺のエゴであるのなら。


「…オメーも結局、黄家の男だな」
「え?」
戸惑う息子に返事をせず立ち上がると、棚から寝酒用にと置いてある酒瓶を取り出した。
杯は二つ。
「一杯付き合え」
「………」
「旦殿には明日話してみよう」
「父上…!」

杯に酒を満たしてまだ、ムスッとしている俺に困ったようだ。
上目遣いで様子を伺っているのをわざと無視した。
「あの、本当に、申し…」
「謝るな。殴るぞ」
「は…あの…」
さっさと一人で杯をあおる。
天禄がすかさず空になった杯に2杯目を注いだ。
「…父上、ありがとうございます」
ようやく俺は天禄を見返した。
腹が立つほど晴々とした顔をした息子を。
いつのまにか、逞しくなったものだ。
まだまだしばらく、俺の懐で守ってやらなければと思っていたのに。
オメーはオメーの戦場を、自分で選ぶと言うんだな。


いつか。
俺がジジイになったころ、オメーがちゃんとひとかどの男になっていたら。
またこうして酒を飲もう。
その時には言ってやろう。
言えなかった言葉を。
その時までは…


「勝手にしろ」
2杯目の杯を目の高さまで上げて、ようやく俺は小さく笑った。






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