こないだ「C」の絵をUPしたんで、ちょこっと周囲から反応もらいましたが 結果として誰も観ていなかったことがいよいよ明らかになっただけでしたorz えええええ…視聴率的にはどうだったんだろうな…(−△−;) いやでも本当に面白かったので、ささやかな足掻きとして、ご紹介など。
下でぽろっと「C」がSFかのような書き方をしましたが、正確にはSFじゃないです。 一言で言うなら「現代のお金に関する寓話」が正しいかな。 物語をざっくり紹介するとこんな感じです。
主人公の余賀公麿(よが きみまろ)は貧乏な19歳の大学生。 幼い頃に父が蒸発し、母も早くに亡くなり親戚に育てられた関係で 安定して波乱の無い生き方に固執しており 周囲の人間が不幸になることを極端に恐れる。 自活しているのでいつも困窮しているけれど、ギャンブル等は大嫌い。 ひたすら堅実に、地味に、大人しく生きることをモットーとしている彼のもとに 『金融街』からの使者が現われ、「未来を担保に、ご融資させていただきます」と 多額の金を振り込まれる。 金融街とは謎の異世界で現実世界で金が集中する場所にいつのまにか現れるという。 初めはあまりの得体のしれなさに、誘いを拒絶する公麿だったが 貧乏なあまり融資されたお金に手をつけてしまったことで否応なく巻き込まれる。 そこでは毎日、公麿のように招待された人間(アントレと呼ばれる) が 戦い(ディールと呼ばれる)を繰り広げている。 アントレには、アセットというパートーナーが自動生成される。 人型だったり動物型だったり、もっと異形の姿だったりするそれは 自分自身の未来を形にしたものだという。 ディールとは、自分自身の未来を担保にして手に入れた資産を運用して 勝敗を決めるカードバトルとかポケモンバトルのようなもの。 それで負けても死ぬことはないが、負ければ負けた分だけ自身の資産を奪われる。 資産は未来を担保に保有しているものなので、 現実世界に戻ると現実が悪い方向に変化してる。 完全に破産するほど大負けすると、未来の可能性が全て奪われる状況なので 絶望して自殺する者も多いという。 もちろん勝てば相手の資産が手に入り、それは現金として現実世界で使用可能。 公麿は気味の悪さを感じるが、彼が拒絶しようとしまいと『金融街』は確かに存在し 現実に影響を及ぼし続けているし、一度でも『金融街』の金を手にしたものには 週に最低1回のディールが義務付けられていて、拒否権はない。 (パスすることは可能だけれど、そのためには総資産の半分を渡さなければならない) 幸い、ディールに勝つことができた公麿だが、 自分が勝つことで対戦者が不幸になることを気に病み 自分がどうするべきか思い悩みながら、他のアントレと接触し可能性を探っていく。 金融街の「現実」に対する影響を最小限に止めるべくギルドを組織し ディールの操作を試みる、財界の影の大物・三國 壮一郎や ディールで儲けた資産を現実世界でのボランティア活動につぎ込み、 人類の未来を守ろうとする宣野座 功 IMF(国際通貨基金)所属で、金融界の存在を調査しているジェニファー・サトウ ディールはパスして、情報屋としてアントレたちを食い物にしている竹田崎 重臣 などなど、 アントレたちはそれぞれに「自分のポリシー」を持って動いている。 そしてついに、「未来」を食いつぶした「現在」が 大金融危機「C」の脅威にさらされた時 「現在」を守ろうとする金融街最強の男・三國率いる椋鳥ギルドと 「未来」を守らんとする公麿、サトウ、竹田崎は全面対決を迎える…!
というお話です。 このお話のカギになるのは「未来」って何?ということ。 「未来」って言葉はあるけど、具体的に特定できない「概念」ですよね。 アントレ達は皆、「未来を担保に」と言われてもその意味を具体的に理解することはできないけれど 目の前に振り込まれた金額の大きさに目がくらんで、 「負けなければいいんだから」と安易にそのギャンブルの世界に耽溺してしまう。 そして実際負けてしまった時にも、直後には何が失われたのかがわからない。 現実世界に戻ってみて、自分の身に降りかかってくることを体験して やっと何を奪われたかを知る。 それがものすごく怖い。
「未来」を担保に「現在」を守ろうとする行為は正しいのか? 三國は未来は現在の先にあるのだから、「現在」を守り切ればいいのだ、と言う。 宣野座は「未来」を失った現在なんて意味がない、と言う。 三國は「弱者は目の前の現実で精いっぱいなのだ、宣野座の意見は豊かなものの傲慢だ」という。 宣野座は「人の未来を食いつぶしておいて世界を守っている気になっている三國は傲慢だ」という。 どちらも正しいように思える。 そして、自分の行動の結果がどのように現実にフィードバックされるのかは、 実際に選択した後でなければわからない。
一見、それは言葉遊びのようだし、概念だけで成立したファンタジーのようにも思える。 でもこれは実際の「金融」で起こっていることでもある。 たとえば、国債。 国債を発行すればその国の「未来」(可能性とかポテンシャルと言い換えてもいい)を担保に金を集めることができる。 実際には存在しない「未来という概念」を売買しているともいえる。 国が不況に陥った時、安易に国債を発行すれば「現在」は守れるかもしれないが それは未来の国民に大きな負債を負わせることに他ならない。 だとするならば、どれほどの痛みを伴おうと、現在は現在の力で守れる範囲を守りきり、残った可能性を全て未来へ渡してやるべきではないのか? それは理屈としては美しいけれど、実際の痛みとは 今日の食い扶持もままならない弱者を「諦める」ということでもある。
株も先物取引もみんなそう。卑近な例でいえばカードローンや消費者金融も。 現在の私たちの経済社会では「入金されるはずの未来(可能性)」を担保に 「現在」には存在していない架空のお金をやり取りすることで成立している。 「C」の中で金融界が現実世界には存在していないにもかかわらず 圧倒的な影響力を持って無視できない存在として君臨するように 現実の私たちの世界でも、この架空の金融取引なしには 成り立たないようになってしまっている。 はたしてこの概念先行のマネーゲームは人類に幸福をもたらすものか? それとも臨界値に達した時、全てを崩壊させてしまう悪魔の誘惑なのか? この漠然とした不安を見事に寓話として成立させたと思います。 とても考えさせられました。すごい。
「お金」を嫌う公麿は最初、自分には関係のないことだと拒絶しようとしますが 現実は金融界の影響によって刻々と変化していくし、 影響を受けずにいることはできない。 何かを守ろうと思うなら、結局はどこかで戦わなくてはならないんだと、 やがて気付く。 それは我々が「貧乏だから株価とか外貨とか関係ないし」なんて思っていても 実際に金融危機が起これば給料が減ったり、家族がリストラされたり 否が応でも無関係でいられない現実と同じこと。 だったら私たちは「お金」ってなんなのか、ちゃんと知っていなければならない。
(以下、軽くネタバレ含む) ちなみに、テーマも非常に面白かったですが 私がすごくいいな、と思った点はキャラクターの描き方です。 主人公の公麿は安定平凡人生を目標にするだけあって 物語開始当初は覇気も積極性もない面白みのない地味な青年に見えます。 それが、物語の渦中に放り込まれ、答えは見つからないままに 悩みながらも周囲の人たちを守りたい、平凡な自分の生活を守りたい、と もがき始めたあたりから、じんわり好感度が上がっていって ついに作中後半でこんな会話が交わされます。 「君は面白いやつだな」 「ああ、それ最近よく言われるんだ。 変だよな、今までそんなこと言われたこと無かった」 「そりゃそうだろう。なんであれ行動しなければ、 周りの人には君がどんな人間かなんてわからないんだから」 公麿の変化を見事に表わしていて、すごくハッとさせられた会話でした。
また、公麿のアセットである真朱(マシュ)との関係性もいい。 真朱は頭に角のある少女の姿をしているアセットですが わりとせっかちでサバサバした性格。 自分がアントレにとって「戦うための道具」であると認識している。 だからディールに抵抗を感じる公麿に対して「私は戦うためにいるんだからちゃんと戦ってよ!」と イライラしっぱなし。 でも公麿は少女の姿をした真朱をどうしても道具として見ることができず 守ったり大事にしようとしたりする。 最初は「変なやつ!」と呆れていた真朱が、ずっと大切にされていくうちに 「なんかよくわかんないけど、でもいいと思う。すごく安心する」と 公麿に信頼を寄せていくさまがすごく可愛いし、ほっとする。
途中まで、物語の終着点が想像もつかなくて、のめり込んで観ていましたが これでラストが肩透かしだったら台無しだな〜という懸念もありました。 でも、ラストも後味のいい納得のいく結末を示してもらえたので、文句なく絶賛させていただきます。 おもしろかった!!!
あと個人的所感。 観終ってからすごく思ったのは、未来で公麿と真朱が再会できますように、ってこと。 観ていてなんとなく真朱は公麿の娘なんじゃないかな、と思っていたのですが 公式サイトに行ったら、明言はされていないけどそうとも取れることが書いてあって ちょっと嬉しい。 いや、別に未来の嫁でもいいんですけどね。 でも確かにお互い思いあってはいるんだけど、その愛は異性へのそれではないように感じていたので。 あと、公麿の父のアセットが真朱に似てたっていうのも、 父にとっては孫だったと思えば納得できる。 作品中で明言しなかったにもかかわらず、二人の間の空気感で そうじゃないかと伝わるって本当にすごいな〜
それから、グロテスクなアセットも多々いる中、 真朱は形態変化しないっていうのがすごくいいなあ、と思いました。 アセットは「アントレの未来」と言われているけれど 別の言い方をすれば「アントレの本質」なんじゃないかと。 だから三國のアセットであるQは、見た目美少女なのに 追い詰められるとおもむろに凶悪な本性を現す。 自分を否定するものを圧倒的な力で殲滅するQは 一見義人に見えるけれどつきつめると頑固で頑なな三國の本質そのものなのでは。 そういう視点で観ると、派手さはないけれど底力があって どんな時でも等身大の姿のまままっすぐ戦う真朱は、 そのまま公麿の魅力を体現しているように思えます。
主人公をとても好きになれるアニメでした。 本当にお勧めです!!!
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